聖夜物語 ~「きよしこの夜」誕生物語

 有名なクリスマスキャロルの1つ「きよしこの夜(英題:Silent night)」。この曲には、クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが壊れてしまい、急遽助任司祭のヨゼフ・モールが歌詞を書き上げ、この教会のオルガン奏者であったフランツ・グルーバーが、ギターで伴奏できる讃美歌として一晩で作曲したという逸話があります。本来であればその夜限りのはずでしたが、紆余曲折の後に世界中で愛される曲となっています。
 私達は、ギターを愛する者としてそんな逸話を名誉に思い、毎年「クリスマスコンサート」でご紹介しています。「ギタークリスマスコンサート2020 on web.」では、ご挨拶として指揮者 小林徹がご案内させていただきます。


聖夜物語~「ギタークリスマスコンサート2019」プログラムノートより

 1818年12月23日、今からちょうど201年前のその日。
物語の舞台はモーツァルトの故郷、オーストリアのザルツブルクに近いオーベルンドルフという田舎町。昔日のトルコ軍侵攻の跡を示すたまねぎ型の屋根を持つ聖ニコラ教会礼拝堂。
礼拝堂備え付けのパイプオルガンの鞴の皮を、鼠が齧って穴を開け、使用不能になったことが全ての始まり…

学校の教師であり、この教会のオルガン奏者でもあったフランツ・グルーバーはこの時31才。
彼は織物師の父親の後継ぎとなるべく大切に育てられたが、子どものころのちょっとした成功により音楽的才能を認められ、本格的に勉強する機会を与えられ、後に学校の音楽教師になる。

この話のもう一人の主役、助任司祭のヨゼフ・モールは26才。
彼は、その誕生を待たずに失踪したオーストリア軍兵士の父親の名前を授かるが、その洗礼にあたり、お針子が産んだ三人目の私生児の名付け親になる者はなく、最後にその役を引き受けてくれた男は教会の敷居を跨ぐことも許されない町の死刑執行人。それでも才気溢れる幼年期の彼に楽才を認めた大聖堂合唱隊の最高責任者が養父となり、聖職者への道が開かれる。

この二人の人生は1816年にグルーバーがこの町のオルガン奏者の地位を得たことで重なる。

クリスマスのミサをその夜に控え、モールは窮余の一策としてグルーバーのギター伴奏によるミサを取り行おうと、予てからしたためていた一遍の詩をグルーバーに手渡す。それに霊感を得た彼が曲を作り、12人の子どもたちにモールのテナーとグルーバーのバリトンを加え、ギター伴奏によりその曲は披露された。この頃はギターなどという低俗(!)な楽器が、神聖な教会において最も重要なクリスマスのミサに使われることなどおよそ考えられない時代。だから、その響きはその夜限りのものだったはず…
実際、教区の指導者たちはこの事実を無視し、しばらくは作者二人もその曲の存在すら気にしなかったほど。しかし…


きよしこの夜 静けき今宵 ものみな眠り 目覚めるはただ 愛しあう二人の聖夫婦ばかり
捲毛の髪のいとしい御子は 眠りたもう いと安らかに



翌春、雪解けの季節を迎え、オルガン修理に来たマウラッヒャー一族のカールが、ほんの好奇心から手にしたその楽譜を持ち帰る。そして数多の人の手から手へと渡り、数奇な運命をたどり1840年にドレスデンで出版されるが、その際、作詞作曲者不詳とされたため以降、チロル民謡、オーストリア民謡、果てはモーツァルト、ベートーヴェン、ミハエル・ハイドン(ヨゼフ・ハイドンの弟)作などといわれつづけることになる。そうした中、モールは1848年、ワグレインというさみしい山村で20年間務めた代理司祭の地位のまま一人ひっそりと肺炎で亡くなる。残された遺品は、つぎはぎだらけの礼服と一冊の祈祷書のみ。

一方、グルーバーは1865年、78歳まで生き、音楽家として安定した生涯をおくる。

この曲は1854年に二人の作品であることが公式に確認されるが、そのときグルーバーが語ったことはこの曲が確かに二人の作品であること、出版された楽譜に採譜ミスがあることの二つのみ、そこには何の権利の主張も、いかなる誇張もなかった。一方、一部の批評家、宗教家達はその後も「作曲が幼稚である」とか「詩の内容が通俗的過ぎる」といった批判を繰り返す。
しかし、賢明なる者達はこの歌に何者にも妨げられない「愛」の本質を見出し歌い続けた…

今でも1818年にグルーバーが奏でたギターの伴奏に乗せて雪の降る中、ろうそくの明かりで聖歌隊が歌うこの曲がオーベルンドルフのクリスマスの夜に響いている。

そして今宵、不滅の響きはここにもギターの調べに乗り現われる…すべての人の想いを乗せて

Written by Touru Kobayashi
Dec./2019 SNGE ギタークリスマスコンサート